2008年7月3日木曜日

若者と戯れる。

7月になりました。

ヤバイ。ちょっと時間が経つの早すぎですよ…。。。

昨日は、実習でTAやってる3年生たちと夜 遊びました。

遊びといっても、学生部屋で、酒飲みながら、ジェンガ

引いたジェンガに書かれていることをやらなきゃいけないのですが、
一発芸やらされたり、恋愛について語らせたり……。変な写真もたくさん撮られた。

正直いって、あのテンション・無茶振りについていくのがやっとだったが、
飲みたいなと思っているときだったので、OKってことにしよう。

ちょっとだけ、真面目なこと書くと
最近は、よく農林業の多面的機能や農村社会の共同体的なつながりの意義について論文を読んでいるのだが
農業の多面的機能というのは、貨幣換算できるメリットというよりは精神的、文化的価値であったり
所謂、外部経済であったり ということろに収束してしまって何とも、きっちり把握できない。(そもそもだから多面的機能なんて言葉が出来たわけだが)
しかも、多面的機能というのは地域性もあるし それぞれの農地・林地でその機能も違うし
もちろん、求められている機能も故に高めるべき機能も場所によってまちまち。

それをざっくりと 「多面的機能を守るために」
というお題目の下、政策が作られていくこと、それが何となく正しいことだと思われる風潮に何ともいえない違和感を覚えてしまう。

これは、サークルの後輩が「地球温暖化対策はいらない」とブログで書いていた中で
費用対効果がきちんと評価されていないという話があったが
農林業政策も同じなんだろうなと思った。
それは効果が費用に対して評価できないということもあるけど
貨幣換算できなくてもこのような効果(結果)が起きたということをきちんと示せていないし
政策の見込みも「多面的機能」が守られることで結局どうなるのか(どこまでどうよくなるのかということも含めて)
分からないまま やっているからだろう。

それ自体は仕方がない部分もあると思うが、
「地球温暖化対策」や「多面的機能」「エコ」といった言葉に惑わされずに
矛盾を含んでいることを自覚して見ていく視点が必要なのだろうな。

「森林はどうして必要なのか?」
矛盾を含んでいることを知りながら 自分が納得できるポイントを探る。

そんなもん、見つかるのかな?

P.S.

農業経済の先生とは多面的機能に関しては
そこで生活する人たち、その環境に触れる人たちが「農地を評価する」ことで
初めて多面的機能は存在するし、評価できるという議論になっている。

人によって評価はまちまちではあるのだが、
農地の機能というのは分解していくと代替した方がよりよい場合も多い。
しかし、アメニティや価値観を含んで生活圏にいる人たちが農地を評価することで
初めて多面的機能がある意義が出てくるという話をしている。

政策的に農地を保全する場合には費用は都市からやってくるので
その辺りも含めて農地に対する価値観や認識があって初めて多面的機能は成立するし
それを農地を保全する意義も生まれてくる。

そこには、たぶん費用対効果とはまた別の軸があるのだろうが、
はっきりよく分からないし、この考えが正しいかどうかも微妙なところだ。

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